シルクロードはどこからどこまで?その歴史は?

シルクロード(絹の道)という言葉は、
いかにもロマンティシズムとエキゾティ
シズムに満ち溢れていて、とても魅力的ですね。

 

絹の国中国からヨーロッパへ続くシルク
ロードは、ルートによっては現代でさえ
通行困難な部分もあります。

 

2000年前には、さぞ命がけの旅だったでしょう。

 

そのルートは、東は中国西部の長安また
は洛陽から、西はシリアのアンティオキ
ア又はローマにかけてというのが一般的です。

 

しかし、
日本がシルクロードの東端だったとする
説もあり、完全な定説というものはなさそうです。

 

もともと特定の国家や組織が設定し運用
したものではありませんので、起点や終
点を明確に定められるものではありません。

 

そしてその全長は8000キロ以上!

 

昔の人は、その道を一体何年かけて歩んだのでしょうか?

 

今回は、そのシルクロードの歴史やその
発見、各種のルートなどを見ていきましょう!


 

シルクロードの歴史

シルクロード、ザイデンシュトラーセン、
絹の道と、いずれもエキゾティックな響き
の言葉で、夢を誘いますね。

 

シルクロードは2014年に、世界文化遺産
に登録されています。

 

2000年前の古代ローマでは、中国のこと
セリカSerica(絹の国)と呼んでいました。

 

その位昔から中国は絹の名産地だったのですね。

 

中国の名産は絹だけではなく、陶磁器も有名です。

 

陶磁器の英名は「チャイナ」なのです。

 

その絹や陶磁器の交易のために、中国か
らはるばる古代ローマ帝国へと続く道が、
後にシルクロードと呼ばれるようになったのです。

 

「シルクロード」という言葉自体は、
比較的最近にできたものです。

 

これは19世紀に、ドイツの地理学者
リヒトホーフェンが、その著書の中で、
ザイデンシュトラーセン(絹の道)と
書いたことが発端です。

 

その後、リヒトホーフェンの弟子で、
スウェーデンの地理学者スヴェン・
ヘディンがその著書にも使いました。

 

そして、1938年に英訳された際に、その
英訳名「The Silk Road」
一般的に知られるようになったのです。

 

このように、シルクロードの起源は
少なくとも2000年以上前のことです。

 

その途中には、シリアやペルシャ(今の
イラン)など、当時は栄えていた国もあ
り、交易路としては、当時では最大規模だったと思われます。

 

シルクロードの起点終点には諸説ありま
すが、一般には東が中国西部の長安或い
は洛陽、西はシリアのアンティオキア
又はローマにかけてとされています。

また、冒頭で書いたように、日本がシルク
ロードの東端だったいう説もありますが、
これはやはりトンデモ説に入るようですね。

 

その途中には敦煌や楼蘭、万里の長城、</strong
カシュガルやイスファン、火焔山、各地の
千仏洞、それにサマルカンドと、数多くの見所があります。

 

シルクロードツァーでは15日前後の日程
で組まれていますが、見所を全て回ると
なると、15日どころか150日はかかりそうですね。

 

書いている私もエキゾティックな響きの
地名に、わくわくと胸が躍ってしまいます。

 

最初に絹が作られたのは、諸説ありますが、
およそ5000年程前の中国
という説が有力です。

 

野生の蚕を飼育して繭を集め、その繭か
ら絹糸を紡ぎだして、絹の織物を作ったのです。

 

最初に絹が作られた当時は、大変な貴重
品であり、普通の庶民が手にすることな
どは出来ませんでした。

 

しかし、その後は次第に
他の国々にも絹は広まって行きます。

 

中国以外の国でも、
最初は完成品の絹製品、やがて生糸を輸
入して絹製品を作るようになります。

 

その交易路がシルクロードです。

 

シルクロードでは、絹以外にも様々なも
のが東西で交易されました。

 

ぶどうやごまなどの食糧、毛皮や毛織物、
各種に工芸品、さらには品物だけではなく、
音楽などの文化や、イスラム教などの宗教
まで、シルクロード経由で伝わっていったのです。

 

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シルクロードは複数ある

シルクロードという道は、
一本だけではありません。

 

元々昔の隊商が行き来していたのは、
北はモンゴルから南は中国北部、
中部にかけての広い広い地域です。

 

ですから、いわゆる「道」というような
定まったものはなく、そのルートも歩き
やすい地形を選んで、自由に進んでいたわけです。

 

現代の舗装されていて、
きっちりと定まった道ではありません。

道なき道
と言った方が正しいのでしょう。

それでもシルクロードでの交易が盛んに
なるにつれて、ある程度標準的ルートと
言えるようなものも出来てきました。

 

それが

  1. 「オアシスの道」
  2. 「草原の道」
  3. 「海の道」(海路)

の3つのルートです。

 

「オアシスの道」

この「オアシスの道」が、
リヒトホーフェンが命名した
「シルクロード」です。

 

長安を起点とし、トルキスタンをへて進
み、現在の蘭州市のあたりで黄河を渡り、
河西回廊を経て敦煌に至ります。

 

敦煌からは3つのルートに分岐します。

 

  1. 西域南道
  2. 西域北道(天山南路)
  3. 山北路

東トルキスタンのタリム盆地には、
ロプノール湖という大きな湖がありまし
たが、これがあの有名な「さまよえる湖」です。

 

なぜ「さまよえる湖」なのかといいます
と、この湖は非常に大きいにもかかわら
ず、みつからないからなのです。

 

19世紀から20世紀にかけて、何人かの
地理学者が現地調査を行ったのですが、
結局判明しないままでした。

 

この謎を解いたのが、前項で触れた
スヴェン・ヘディンです。

 

彼はかつてロプノール湖があったとされ
る場所で、大きな干上がった湖床を発見します。

 

水は一滴もありませんが、かつては満々
水をたたえた大きな湖だったことは明かです。

 

そしてヘディンは大胆な説を発表しました。

 

この地域は高低差が少ないため、僅かな
土地の変化でも流路が変わってしまいます。

 

そして楼蘭が滅びたのも、その流路の変
化により、ロプノール湖が干上がった
ためだ、という説です。

 

3世紀頃には、楼蘭のすぐ近くにロプノー
ル湖があったので、水に不自由はなかった
のですが、それが干上がってしまうと、
砂漠では他に水源はありません。

 

そのため人々は楼蘭を捨てたのです。

 

こうしてロプノール湖が干上がると、
楼蘭を経由するルートは通行が困難
なってしまいました。

 

そこで楼蘭より東にある敦煌からの、
代替えルートが使われるようになりました。

 

西域南道

敦煌からタクラマカン砂漠のオアシスを
辿り、パミール高原に達するルートです。

 

オアシスの道の中では最も古い歴史を持
ち、紀元前2世紀頃には既に存在していた
ようです。

 

距離的には最短であるため、利用者は多
かったと言われていますが、他のルート
同様に厳しい行程であることには違いがありません。

 

西遊記のモデルにもなった、実在の
玄奘三蔵は、インドからの帰り道にこの
ルートを通り、楼蘭の遺跡にも立ち寄ったそうです。

 

西域北道(天山南路)

西域北道(天山南路)も歴史は古く、
西域南道とほぼ同じ頃から使われていました。

 

ルートは、楼蘭経由と、敦煌から北上し、
ハミから西進してトルファンを通るルー
トの2つがありました。

 

しかし、ロプノール湖が干上がると
楼蘭経由のルートは使われなくなりました。

 

山北路

山北路が使われるように
なったのは、西暦起源後と言われています。

 

敦煌から北上し、ハミ、トルファン付近
で天山南路と分離し、ウルムチを通って
天山山脈の北麓沿いを進み、
サマルカンドに至るルートです。

 

西域北道や西域南道よりも、水や食料が
手に入りやすく、平均標高5000mのパミー
ル高原を越える必要もないので、
比較的楽なルートと言えます。

 



「草原の道」

草原の道はシルクロード最古の道です。

 

中国北部からモンゴルなどの草原(ス
テップ地帯)を通り、ロシア南部やカ
ザフスタンのカスピ海・アラル海一帯
から、トルコ北部の黒海に至ります。

 

海の道(海路)

海の道はその名の通り、海路を行くルートです。

 

中国南部の福建省泉州市あたりから海に
出て、東シナ海、南シナ海、インド洋を
経てインド、そしてアラビア半島へと進む海路です。

 

この海路は「海のシルクロード」とも呼
ばれ、陸のシルクロードに匹敵する歴史
を持っています。

 

結び

「シルクロード」という言葉自体は、
比較的最近にできたものですが、
シルクロードそのものは2000年以上
も前からありました。

 

シルクロードの道は大きく分けて

  1. 「オアシスの道」
  2. 「草原の道」
  3. 「海の道」(海路)

とルートあります。

 

さらにオアシスの道は

  1. 西域南道
  2. 西域北道(天山南路)
  3. 山北路

と、これも3つあります。

 

当時のことですから、道と言っても舗装
されていて道路標識があるというような
ものではありません。

 

単に少数の隊商が通った跡というだけの
ことです。

 

それにしても、高山あり砂漠あり草原あ
りの険しい道を、8000キロ以上も辿り続
けたという、当時の人々の勇気には驚嘆
するしかありませんね。

 

シルクロードにロマンティシズムやエキ
ゾティシズムを感じるのも、それらの
人々への賞賛の想いからかも知れません。

 

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「捨て子のサウルス」です。 気張らず無理せず気ままに書き散らすつもりですので、お気軽に読んでくださいね。

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